2014年11月3日月曜日

英国ジョッキークラブ秘蔵 競馬絵画展





 東京競馬場にある競馬博物館で、本日まで「英国ジョッキークラブ秘蔵 競馬絵画展」が開催されています。美術館ではないので貸出しは今回限りでしょう。ここで見ておかないと今後見ることのできない傑作を多数見ることができます。


 エクリプスを描いた三枚の肖像画は写真では見る機会も多いかと思いますが、本物を見る機会に巡り合えるとは考えていませんでした。通算18戦18勝と言われており、すべてのレースが大差勝ちであったとされる18世紀を代表する名馬で、日食の日(実際は金環食)に産まれたことからエクリプス(eclipse=日食)と命名され、現在のサラブレッドの父系を辿っていくと90%以上はエクリプスに行き着くと言われています。


 筆者が最も感動したのはミノルの肖像画でした。当時のイギリス国王エドワード7世が貸借契約により所有し、1909年に2000ギニーとダービーの二冠を制した名馬です。馬名の「ミノル」は、生産牧場で庭師をしていた日本人の息子の名とも、当時有名だった陸上短距離と棒高跳びの「藤井実」からとも言われていますが真偽の程は謎のようです。何れにしろ日本にゆかりの馬名ということで今回の貸出リストにアップされたのでしょう。


     日本の競走馬にも「ミノル」の馬名が存在します。1969年のダービー2着馬ミノルです。この時大接戦の末ミノルをクビ差で制したダイシンボルガードの石田厩務員が我を忘れてコースに飛び出し愛馬を応援したエピソードは有名ですね。中央競馬会は石田厩務員を厳重注意処分として戒告しましたが、当時の機関誌「優駿」には石田厩務員がコースでダイシンボルガードを応援するシーンがデカデカと掲載されています。



 筆者にとって、「ミノル」は初めて耳にした競走馬として記憶に残っています。父親は競馬をやりませんでしたが、叔父が競馬ファンで「ミノル」のことを話しているのを後に「さすらいの馬券師」に成長する小学生が聞いていたのです。子供には耳触りの良い馬名だったことが記憶に残っている理由でしょう。「ミノル」の名前から容易に想像できるように、女性ファンが多い馬でした。筆者が馬券師稼業を始めた頃の「優駿」に「読者取材」という企画が掲載されており、引退後のミノルを当時の女性ファンが訪ねて紀行文が紹介されたのです。青草を食んでいたミノルに近づいてペロリとやられた様子を「緑色のキスマークをもらった」と嬉しそうに書いてあったのが印象に残っています。








*本日まで開催されています。